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松井憲治(ペンネーム:玖珂みのを)さんのこと (2006年 記)

<2003年1月27日逝去した松井さんを偲んで>

 
 「てふてふが1匹韃靼(だったん)海峡を渡って行った」。

これは安西冬衛の「春」という1行詩だ。

絵が浮かびあがる見事な朗読だ。独特な語りが耳に残る。

みたこともない おおきな てふてふ (蝶々ではない、てふてふ なのだ)
が1匹、岩場から見知らぬ海峡にむかって優雅にとんで行った。


劇団での詩のレッスンで、この人と出会った。
生徒と先生だ。
(なんとこの関係が最後まで続くのだ)
 
この先生の朗読はスケールが違った。
次の日のレッスンで、あのアレン・ギンズバーグが登場した。
「吠える」の朗読がはじまった。

きれいな標準語というわけでも、流れる口調でもないが、とにかく違った
(朗読のうまい役者やアナウンサーは、くさる程いるが、スケールが違うのだ)

「ふぁー詩人だ。」
「かなわない」と思った。
(かなわないと思ったのは生まれて二人目だ。一人目は言いたくないが
作家だった父だ。)

この詩人は髪が肩まであった。(時は1969年だ)

やさしい目に口ひげが似合っていた。
背は小さいが大きな巨人に映った。

この巨人の名は「松井憲治」。
(ペンネーム:玖珂みのを、漫画家伊万里すみ子さんの旦那) 

 


 最終電車で鎌倉に(時は1970年だ)。

車中、宮谷一彦の「性蝕記」をまわし読む。
材木座海岸で新聞紙にくるまって夜が明けるまでビートルズ、
オーティス・レディング、淺川マキを唄う。
(松井さんは美空ひばりもよく唄ってた。18番は『りんご追分』なのだ!)


 
 「イマジン」が街にながれてた(時は1971年だ)。

俺を主人公の芝居を書いてくれた。
(このひとは脚本家だったのだ)
岡林を唄いながら一晩で書いた。しかも俺の隣で、いともたやすくだ。
(嘘じゃない、この人はクレージーな天才なのだ)

大森公園で稽古が始まった。
(このひとは演出家だったのだ)

石神井公園での公演(シャレじゃない)の前日、この人は劇団員が
もちよったシーツに芝居の背景をたった1時間で描きあげた。
(このひとは漫画家だったのだ)



 
 そして、 1972年から2003年

 <この間に松井さんは、「イモ、イモ。イモがいなけりゃ生きていけない」ほど
 愛した最愛の夫人である伊万里すみ子さんと数多くの傑作を残します。

 多くの弟子に、多くの漫画家さんに愛され、またそれ以上に、会ったすべての
 人を大きな愛でつつみこんだ偉大な松井さん。> 
 (こんな人、見たことない)
   


 今、2006年。 

もう アノ巨人が あっちの世界に いって 3年。 たった3年、でも、もう3年。

松井さん、あなたは、あっちの世界でも・・・・・・・・・・。
 (唄もうたってる?)